・郭淮、字を伯済 255年1月30日に病没。
最終経歴は車騎将軍、また都督として雍州・涼州の軍事総司令官の任を兼務。
死後大将軍を追贈され、貞侯と諡される。


・夏侯覇、字を仲権 251年4月に司馬一族に反感を抱き反乱。のち蜀漢に亡命。
255年9月に衛将軍の姜維と共に狄道に出て、当時の征西将軍陳泰らと対峙。
雍州刺史の王経を大破した戦果が伝えられるのみで、それ以降の事績は残っていない。
(蜀漢が滅亡した263年には既に死亡しており、諡号が贈られたという)


蜀では皇室と繋がりがあるとされ、車騎将軍まで昇進した夏侯覇の名前が
普通に戦を続けて255年以降の正史に残っていないというのは不自然なので、
つまり夏侯覇は郭淮が死んだあと、戦うのを止めた(止めざるを得なかった?)
…っていう妄想ができるんじゃないかな。という話です。





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*演義の場合*

姜維に矢を射る→姜維矢をキャッチ→その矢を射返されて額に当たる
一応助け出されたけど出血多量で死亡。かわいそう系。